第1章 運動の表し方

速度と速さ
─ 「向き」があるかないかで世界が変わる

「時速60kmで走っている」と聞くと、どんな車をイメージしますか。
実はこの表現だけでは、車がどちらに向かっているかは分かりません。
物理では「大きさだけの量」と「大きさ+向きの量」を厳密に区別します。この違いが力学全体の出発点です。

1なぜ「向き」が必要なのか ─ 日常と物理の距離

カーナビが「目的地まで60km」と表示しても、「どの方角に60km」か分からなければ役に立ちません。 物理における運動の記述も同じです。 物体がどれだけ速く動いているかだけでなく、どちらに向かっているかを含めて初めて運動を正確に記述できます。

日常生活で「速さ」といえば、「時速60km」のように大きさだけを表す言葉です。 しかし物理では、「東に向かって時速60km」のように向きを含めた量を使います。 この「向きの情報」が加わるだけで、物体の運動を予測する力が格段に高まります。

たとえば、2台の車がそれぞれ時速60kmで走っていても、同じ方向に走っているのか、正面から向かい合っているのかで状況はまったく異なります。 「速さ」だけでは区別できないこの違いを、物理は「速度」という概念で扱います。

💡 ここが本質:物理は「向き」を区別する

日常会話では「速さ」と「速度」をほぼ同じ意味で使いますが、物理では明確に区別します。

速さは大きさだけの量(スカラー)。速度は大きさと向きをもつ量(ベクトル)です。

この区別は物理学の最も基本的な約束事であり、力、加速度、変位など、力学に登場するほぼすべての量に同じ区別が適用されます。

2速さと速度の定義 ─ スカラーとベクトル

スカラーとベクトル

物理量には2種類あります。 スカラーは大きさだけで決まる量で、温度、質量、時間などがこれにあたります。 一方、ベクトルは大きさと向きの両方で決まる量で、力、速度、加速度などがこれにあたります。

スカラーは1つの数値で表せます(例:$30\,\text{kg}$、$100\,\text{℃}$)。 ベクトルは数値だけでなく、向きの情報が必要です(例:「東向きに $5\,\text{m/s}$」)。

速さの定義

速さとは、単位時間あたりに移動した道のりの大きさです。 スカラー量なので、常に $0$ 以上の値をとります。

📐 速さの定義

$$\text{速さ} = \frac{\text{移動距離(道のり)}}{\text{経過時間}}$$

※ 速さはスカラー量であり、常に $0$ 以上の値をとる。単位は $\text{m/s}$(メートル毎秒)。

速度の定義

速度とは、単位時間あたりの変位(位置の変化)です。 ベクトル量なので、向きを含む情報です。 直線上の運動では、正の向き・負の向きを決めて、速度を正負の値で表します。

📐 速度の定義

$$\text{速度} = \frac{\text{変位}}{\text{経過時間}}$$

直線運動で正の向きを定めると、速度は正負の値をとります。

$$v = \frac{\Delta x}{\Delta t} = \frac{x_2 - x_1}{t_2 - t_1}$$

※ $\Delta x$:変位(位置の変化)、$\Delta t$:経過時間。速度はベクトル量。単位は $\text{m/s}$。
⚠️ 落とし穴:「速さ」と「速度の大きさ」を混同する場面

「速度の大きさ」と「速さ」は瞬間的には同じ値になりますが、平均値では異なることがあります。

✕ 誤:「平均の速さ」=「平均の速度の大きさ」(常に一致すると思っている)

○ 正:物体が往復運動した場合、平均の速度は $0$ になりえますが、平均の速さは $0$ にはなりません。

例:100m先まで行って戻ってきた場合、変位は $0$ なので平均の速度は $0\,\text{m/s}$。しかし、移動距離は $200\,\text{m}$ なので平均の速さは正の値になります。

速さと速度の関係

速度と速さの関係を整理しましょう。

速さ 速度
種類 スカラー(大きさのみ) ベクトル(大きさ+向き)
値の範囲 $0$ 以上 正・負・ゼロ
定義 移動距離 $\div$ 時間 変位 $\div$ 時間
日常の例 「時速60km」 「東に時速60km」
💡 ここが本質:速度の大きさが速さ

速度から向きの情報を取り除き、大きさだけを取り出したものが速さです。

数式で書くと、速度 $v$ に対して速さは $|v|$(絶対値)です。

速度が $-3\,\text{m/s}$ なら、速さは $3\,\text{m/s}$ です。速さにマイナスはありません。

⚠️ 落とし穴:日常語と物理用語のズレ

日常会話では「速度が上がった」と言いますが、物理的には「速さが上がった」のか「速度の向きが変わった」のかが区別できません。

✕ 誤:「速さが減って速度が増えた」のような表現は物理的にありえない

○ 正:速さは速度の大きさなので、速さが減れば速度の大きさも減っている

物理の問題文では「速さ」「速度」が厳密に使い分けられています。問題文の言葉に注意しましょう。

🔬 深掘り:ベクトルの表記法

大学物理では、ベクトルを矢印付きの文字 $\vec{v}$ や太字 $\boldsymbol{v}$ で表します。 高校物理の直線運動では、正負の符号で向きを表すので、特別な記法は使いません。

2次元・3次元の運動を扱うようになると、ベクトルの成分表示($v_x$、$v_y$)が不可欠になります。 これは第1章後半の合成・分解で扱う内容へとつながっていきます。

3平均の速度と瞬間の速度

車で旅行に出かけたとき、「300kmの道のりを5時間で走ったから、平均時速60km」という計算をしたことがあるかもしれません。 しかし実際には、渋滞でほとんど動かない時間もあれば、高速道路で100km/hを超える時間もあったはずです。 物理では、この「全体の平均」と「ある瞬間の値」を区別します。

平均の速度

平均の速度とは、ある時間区間全体での変位を、その経過時間で割ったものです。

📐 平均の速度

$$\bar{v} = \frac{\Delta x}{\Delta t} = \frac{x_2 - x_1}{t_2 - t_1}$$

※ $\bar{v}$:平均の速度。途中で速度がどう変化しようと、始点と終点の位置だけで決まる。

平均の速度は、途中の運動の詳細を無視しています。 x-tグラフ(位置-時間グラフ)上では、2点を結ぶ直線の傾きが平均の速度に対応します。

瞬間の速度

瞬間の速度とは、ある瞬間における速度です。 時間区間 $\Delta t$ を限りなく短く($0$ に近づけて)いったときの平均の速度の極限値として定義されます。

📐 瞬間の速度

$$v = \lim_{\Delta t \to 0} \frac{\Delta x}{\Delta t}$$

※ x-tグラフ上では、その時刻における接線の傾きが瞬間の速度。

x-tグラフの接線の傾きが急なほど、その瞬間の速度が大きいことを意味します。 傾きが正なら正の向きに、負なら負の向きに運動しています。

💡 ここが本質:「平均」と「瞬間」はx-tグラフで見分ける

平均の速度 = x-tグラフ上の「2点を結ぶ直線」の傾き

瞬間の速度 = x-tグラフ上の「接線」の傾き

等速直線運動では、x-tグラフが直線になるため、平均の速度と瞬間の速度は一致します。 速度が変化する運動では、この2つは一般に異なります。

⚠️ 落とし穴:「平均の速度」と「平均の速さ」を混同する

この2つは計算方法が異なります。

平均の速度 = 変位 $\div$ 時間(符号つき、ベクトル)

平均の速さ = 移動距離(道のり)$\div$ 時間(常に正、スカラー)

✕ 誤:往復運動の平均の速度を「移動距離 $\div$ 時間」で計算する

○ 正:往復して元の位置に戻った場合、変位は $0$ なので平均の速度は $0\,\text{m/s}$

単位の変換:km/h と m/s

物理の問題では速度を $\text{m/s}$ で扱いますが、日常では $\text{km/h}$ がよく使われます。 この2つの単位を変換する方法を確認しておきましょう。

📐 速度の単位変換

$$1\,\text{km/h} = \frac{1000\,\text{m}}{3600\,\text{s}} = \frac{1}{3.6}\,\text{m/s}$$

$$1\,\text{m/s} = 3.6\,\text{km/h}$$

※ $\text{km/h}$ → $\text{m/s}$ は $3.6$ で割る。$\text{m/s}$ → $\text{km/h}$ は $3.6$ を掛ける。
⚠️ 落とし穴:単位変換で掛けるか割るかを間違える

$\text{km/h}$ から $\text{m/s}$ への変換で、$3.6$ を掛けるか割るかを間違えるミスが頻出します。

✕ 誤:$72\,\text{km/h} = 72 \times 3.6 = 259.2\,\text{m/s}$

○ 正:$72\,\text{km/h} = 72 \div 3.6 = 20\,\text{m/s}$

迷ったら次元で確認しましょう。$1\,\text{km/h}$ は $1$ 時間に $1\,\text{km}$ なので、$1$ 秒あたりに直すと小さい値になるはずです。 $\text{m/s}$ の方が数値は小さくなるので「割る」が正解です。

4速度の正負と座標軸

直線上の運動を扱うとき、まず正の向きを決めます。 通常は右向きを正とします。 正の向きに動いていれば速度は正、逆向きに動いていれば速度は負になります。

たとえば、右向きを正と定めたとき、右に $5\,\text{m/s}$ で動く物体の速度は $+5\,\text{m/s}$、左に $3\,\text{m/s}$ で動く物体の速度は $-3\,\text{m/s}$ です。 どちらの場合も速さ(速度の大きさ)はそれぞれ $5\,\text{m/s}$ と $3\,\text{m/s}$ であり、正の値です。

💡 ここが本質:正の向きの選び方は自由

正の向きは問題を解く人が自由に決めてよいものです。 右向きを正にしても、左向きを正にしても、正しく計算すれば同じ結果が得られます。

ただし、一度正の向きを決めたら、その問題の中では最後まで変えないことが重要です。 途中で向きを変えると符号が混乱し、ミスの原因になります。

座標軸を設定するとは、「原点」と「正の向き」を決めることです。 直線運動では$x$軸を1本引き、物体の位置を座標で表します。 位置が正ならば原点より正の向き側に、負ならば逆側にいることを意味します。

⚠️ 落とし穴:正の向きを途中で変えてしまう

物体が折り返して逆向きに運動を始めたとき、「負の向きに動くから正の向きを反転させよう」とする受験生がいます。

✕ 誤:物体が左に動き始めたので、左向きを正に切り替える

○ 正:正の向きは変えずに、速度を負の値で表す

物体の運動の向きが変わっても、座標軸は動かしません。

5この章を俯瞰する

速度と速さの区別は、力学全体を学ぶうえでの土台になります。 ここで学んだ考え方が、今後どのように使われるかを確認しておきましょう。

つながりマップ

  • → M-1-2 変位と移動距離:速度の定義に登場した「変位」を掘り下げる。変位と移動距離の違いを明確にする。
  • → M-1-3 加速度:速度の変化の割合が加速度。速度がベクトルであることが加速度の理解に直結する。
  • → M-1-4 等速直線運動:速度が一定の場合の運動。速さと速度の区別が身についていれば容易に理解できる。
  • → M-1-6 v-tグラフの読み方:速度を時間の関数として表すグラフ。速度の正負がグラフ上でどう表れるかを学ぶ。
  • → 第2章 力とニュートンの法則:力もベクトル量。速度と同じく「向き」の概念が不可欠。

📋まとめ

  • 速さは大きさだけのスカラー量。常に $0$ 以上の値をとる
  • 速度は大きさと向きをもつベクトル量。直線運動では正負の符号で向きを表す
  • 速度の大きさが速さ。$|v|$ で表す
  • 平均の速度は変位を時間で割った値。x-tグラフでは2点間の直線の傾き
  • 瞬間の速度は $\Delta t \to 0$ の極限。x-tグラフでは接線の傾き
  • 単位変換:$1\,\text{m/s} = 3.6\,\text{km/h}$。$\text{km/h}$ → $\text{m/s}$ は $3.6$ で割る
  • 正の向きは自由に決められるが、一度決めたら問題の最後まで変えない

確認テスト

Q1. 速さと速度の違いを簡潔に述べてください。

▶ クリックして解答を表示速さは大きさだけのスカラー量で、常に $0$ 以上。速度は大きさと向きをもつベクトル量で、正負の値をとる。

Q2. $54\,\text{km/h}$ は何 $\text{m/s}$ ですか。

▶ クリックして解答を表示$54 \div 3.6 = 15\,\text{m/s}$

Q3. ある物体が原点から右に $100\,\text{m}$ 進み、その後左に $60\,\text{m}$ 戻りました。右向きを正とするとき、変位と移動距離はそれぞれいくらですか。

▶ クリックして解答を表示変位は $100 - 60 = +40\,\text{m}$(右向き)。移動距離は $100 + 60 = 160\,\text{m}$。

Q4. x-tグラフにおいて、平均の速度はどのように読み取れますか。

▶ クリックして解答を表示x-tグラフ上の2点を結ぶ直線の傾きが平均の速度です。傾きが正なら正の向き、負なら負の向きの速度を意味します。

Q5. 右向きを正とするとき、左に $8\,\text{m/s}$ で動く物体の速度と速さをそれぞれ答えてください。

▶ クリックして解答を表示速度は $-8\,\text{m/s}$。速さは $8\,\text{m/s}$。

8入試問題演習

この記事で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。

A 基礎レベル

1-1-1 A 基礎 単位変換 計算

次の速さを $\text{m/s}$ に変換せよ。

(1) $90\,\text{km/h}$

(2) $36\,\text{km/h}$

(3) $7.2\,\text{km/h}$

▶ クリックして解答・解説を表示
解答

(1) $25\,\text{m/s}$

(2) $10\,\text{m/s}$

(3) $2.0\,\text{m/s}$

解説

方針:$\text{km/h}$ → $\text{m/s}$ は $3.6$ で割る。

(1) $90 \div 3.6 = 25\,\text{m/s}$

(2) $36 \div 3.6 = 10\,\text{m/s}$

(3) $7.2 \div 3.6 = 2.0\,\text{m/s}$

B 発展レベル

1-1-2 B 発展 平均の速度・速さ 論述

ある人が直線上の道を、出発点から東に $600\,\text{m}$ 歩き、折り返して西に $200\,\text{m}$ 戻った。全行程にかかった時間は $400\,\text{s}$ であった。東向きを正とするとき、次の問いに答えよ。

(1) この人の変位と移動距離を求めよ。

(2) 平均の速度を求めよ。

(3) 平均の速さを求めよ。

▶ クリックして解答・解説を表示
解答

(1) 変位:$+400\,\text{m}$(東向き)、移動距離:$800\,\text{m}$

(2) $+1.0\,\text{m/s}$(東向き)

(3) $2.0\,\text{m/s}$

解説

方針:変位と移動距離を正しく区別し、それぞれを時間で割る。

(1) 変位 = $+600 + (-200) = +400\,\text{m}$。移動距離 = $600 + 200 = 800\,\text{m}$

(2) 平均の速度 = $\dfrac{\text{変位}}{\text{時間}} = \dfrac{400}{400} = +1.0\,\text{m/s}$

(3) 平均の速さ = $\dfrac{\text{移動距離}}{\text{時間}} = \dfrac{800}{400} = 2.0\,\text{m/s}$

採点ポイント
  • 変位を「方向を含めた量」として正しく計算(2点)
  • 移動距離は道のりの合計であると認識(2点)
  • 平均の速度と平均の速さを正しく区別(3点)
  • 符号や向きを明示(1点)

C 応用レベル

1-1-3 C 応用 区間速度の統合 論述

自動車が直線道路上を走行した。最初の $60\,\text{s}$ 間は東向きに $20\,\text{m/s}$ の等速で走り、次の $40\,\text{s}$ 間は東向きに $10\,\text{m/s}$ の等速で走った。東向きを正とするとき、次の問いに答えよ。

(1) 全行程の変位を求めよ。

(2) 全行程の平均の速度を求めよ。

(3) 平均の速度は $(20 + 10) \div 2 = 15\,\text{m/s}$ としてよいか。理由を述べよ。

▶ クリックして解答・解説を表示
解答

(1) $+1600\,\text{m}$

(2) $+16\,\text{m/s}$

(3) よくない。各区間の走行時間が異なるため、速度の単純平均は正しい平均の速度にならない。

解説

方針:各区間の変位を求め、合計変位を合計時間で割る。

(1) 第1区間の変位:$20 \times 60 = 1200\,\text{m}$。第2区間の変位:$10 \times 40 = 400\,\text{m}$。合計変位:$1200 + 400 = +1600\,\text{m}$

(2) 平均の速度 = $\dfrac{1600}{60 + 40} = \dfrac{1600}{100} = +16\,\text{m/s}$

(3) 速度の単純平均 $15\,\text{m/s}$ は、各区間の走行時間が等しい場合にしか正しくならない。 今回は第1区間($60\,\text{s}$)の方が長いため、$20\,\text{m/s}$ の区間の重みが大きく、平均は $15\,\text{m/s}$ より大きい $16\,\text{m/s}$ になる。 平均の速度は「総変位 $\div$ 総時間」で定義される量であり、速度の算術平均とは異なる。

採点ポイント
  • 各区間の変位を正しく計算する(2点)
  • 合計変位を合計時間で割る定義に従う(2点)
  • 速度の単純平均が正しくない理由を「走行時間が異なるため」と述べる(3点)
  • 平均の速度の定義(総変位 $\div$ 総時間)を明示する(1点)