第28章 原子の構造

水素原子のスペクトル
─ バルマー系列

プリズムを通した太陽光は連続的な虹色に広がりますが、水素ガスの放電管から出る光をプリズムに通すと、飛び飛びの色の線しか見えません。
赤、青緑、青紫、紫── わずか数本の鮮やかな光の線。
この不思議な「とびとびの光」のパターンこそが、原子の内部構造を解き明かす鍵であり、量子論誕生のきっかけとなったのです。

1連続スペクトルと線スペクトル

光をプリズムや回折格子で分解すると、光に含まれる波長の成分がわかります。 このような波長ごとの光の分布をスペクトルといいます。

連続スペクトル

白熱電球や太陽光のように、高温の固体や液体から放出される光は、あらゆる波長の光を連続的に含んでいます。 プリズムで分解すると途切れのない虹色の帯が見え、これを連続スペクトルと呼びます。

線スペクトル

一方、水素やナトリウムなどの気体を高温にしたり放電させたりして発光させると、 特定の波長の光だけが現れ、暗い背景にいくつかの明るい線が並びます。 これを線スペクトル(輝線スペクトル)と呼びます。

線スペクトルは元素ごとに固有のパターンをもっており、いわば原子の「指紋」です。 このパターンを分析することで、どの元素が含まれているかを特定できます。 実際に、ヘリウムは太陽の線スペクトルの分析によって発見されました。

💡 ここが本質:線スペクトルは「原子からのメッセージ」

原子が特定の波長の光だけを放出するということは、原子内部のエネルギーが「とびとびの値」しかとれないことを意味しています。

連続的なエネルギーをもつなら連続スペクトルになるはずです。とびとびの光が出るということは、エネルギーの差もとびとびだということです。 この事実こそが、量子論の出発点です。

⚠️ 落とし穴:連続スペクトルと線スペクトルの発生条件を混同する

✕ 誤:すべての光源が線スペクトルを出す

○ 正:高温の固体・液体は連続スペクトル、低圧の気体は線スペクトルを出す

連続スペクトルは多くの原子が密に相互作用している状態で生じ、線スペクトルは個々の原子が独立に発光するときに現れます。

2水素原子の線スペクトル ─ バルマー系列

水素は最も構造が単純な原子であり、そのスペクトルも最もシンプルです。 1885年、スイスの数学教師バルマーは、水素原子が放出する可視光領域のスペクトル線の波長が、 ある簡単な数式で表されることを発見しました。

バルマー系列の波長

水素原子の可視光スペクトルには、次の4本の輝線が観測されます。

記号 波長 [nm] 遷移 $n \to 2$
H$_\alpha$ $656.3$ $3 \to 2$
H$_\beta$ 青緑 $486.1$ $4 \to 2$
H$_\gamma$ 青紫 $434.0$ $5 \to 2$
H$_\delta$ $410.2$ $6 \to 2$

バルマーは、これらの波長が次の公式で統一的に表されることを見出しました。

📐 バルマーの公式

$$\frac{1}{\lambda} = R_\text{H}\left(\frac{1}{2^2} - \frac{1}{n^2}\right) \qquad (n = 3, 4, 5, 6, \ldots)$$

※ $\lambda$:光の波長、$R_\text{H}$:リュードベリ定数 $= 1.097 \times 10^7\,\text{m}^{-1}$、$n$:3以上の自然数

この公式をバルマーの公式と呼び、この系列のスペクトル線をバルマー系列と呼びます。 $n$ が大きくなるほど波長は短くなり、$n \to \infty$ で $\lambda$ は一定値(系列限界)に近づきます。

💡 ここが本質:波長が「整数の組み合わせ」で決まる

$\dfrac{1}{\lambda}$ が $\dfrac{1}{n^2}$ の差で表されるという事実は、偶然ではありません。

これは、原子のエネルギーが $n^2$ に関係するとびとびの値をとることの直接的な表れです。 ボーアがこの規則性を理論的に説明したのが、ボーアの原子模型です。

⚠️ 落とし穴:バルマー系列がすべての水素スペクトルだと思う

✕ 誤:水素のスペクトルはバルマー系列だけ

○ 正:バルマー系列は可視光領域のスペクトル。紫外線領域のライマン系列や赤外線領域のパッシェン系列なども存在する

バルマー系列は $n \to 2$ の遷移に対応しますが、$n \to 1$(ライマン系列)、$n \to 3$(パッシェン系列)など、他の系列もあります。

3リュードベリの公式 ─ スペクトルの法則

1888年、リュードベリはバルマーの公式をさらに一般化し、水素原子のすべてのスペクトル系列を統一的に表す公式を提案しました。

📐 リュードベリの公式

$$\frac{1}{\lambda} = R_\text{H}\left(\frac{1}{m^2} - \frac{1}{n^2}\right) \qquad (n > m,\; m, n \text{ は自然数})$$

※ $m$:遷移先の量子数(系列を決める)、$n$:遷移元の量子数($m+1, m+2, \ldots$)
※ $R_\text{H} = 1.097 \times 10^7\,\text{m}^{-1}$(リュードベリ定数)

バルマーの公式は $m = 2$ の場合に相当します。 $m$ の値によって異なるスペクトル系列が得られ、それぞれ発見者の名前がついています。

リュードベリ定数の意味

リュードベリ定数 $R_\text{H}$ は、水素原子のスペクトル線の波長を決める基本定数です。 ボーアの原子模型では、この値が電子の質量、電荷、プランク定数から理論的に導かれます。

▷ リュードベリ定数の理論的表式

ボーアの理論から、リュードベリ定数は次のように表されます。

$$R_\text{H} = \frac{m_e e^4}{8\varepsilon_0^2 h^3 c}$$

ここで、$m_e$:電子の質量、$e$:電気素量、$\varepsilon_0$:真空の誘電率、$h$:プランク定数、$c$:光速です。

この式に基本物理定数の値を代入すると、実験値 $R_\text{H} = 1.097 \times 10^7\,\text{m}^{-1}$ と見事に一致します。

🔬 深掘り:波数(かずう)という量

$\dfrac{1}{\lambda}$ は波数と呼ばれ、単位は $\text{m}^{-1}$ です。 波数は「1メートルあたりに含まれる波の数」を表します。

分光学では波長よりも波数を使うことが多く、リュードベリの公式も波数で表すのが自然です。 波数はエネルギーに比例するため、エネルギー準位の差を直接読み取ることができます。

⚠️ 落とし穴:$m$ と $n$ の大小関係を逆にする

✕ 誤:$\dfrac{1}{\lambda} = R_\text{H}\left(\dfrac{1}{n^2} - \dfrac{1}{m^2}\right)$ で $n < m$ とする

○ 正:$\dfrac{1}{\lambda}$ が正の値になるように $n > m$ とする(括弧内が正になる必要がある)

$\dfrac{1}{\lambda}$ は波長の逆数なので必ず正です。$\dfrac{1}{m^2} > \dfrac{1}{n^2}$ となるためには $m < n$ でなければなりません。

4その他のスペクトル系列

リュードベリの公式で $m$ の値を変えると、それぞれ異なる電磁波の領域に現れるスペクトル系列が得られます。

系列名 $m$ の値 $n$ の範囲 電磁波の領域
ライマン系列 $1$ $2, 3, 4, \ldots$ 紫外線
バルマー系列 $2$ $3, 4, 5, \ldots$ 可視光(一部紫外)
パッシェン系列 $3$ $4, 5, 6, \ldots$ 赤外線
ブラケット系列 $4$ $5, 6, 7, \ldots$ 赤外線
プファント系列 $5$ $6, 7, 8, \ldots$ 赤外線

$m$ が小さいほどエネルギーの差が大きくなるため、波長の短い(エネルギーの高い)光が放出されます。 ライマン系列($m = 1$)が紫外線領域に現れるのは、$n = 1$ の準位と他の準位とのエネルギー差が最も大きいためです。

系列限界

各系列で $n \to \infty$ とすると、波長は一定値に近づきます。この波長を系列限界と呼びます。

たとえばバルマー系列では、$n \to \infty$ のとき、

$$\frac{1}{\lambda_{\infty}} = R_\text{H} \cdot \frac{1}{2^2} = \frac{R_\text{H}}{4}$$

これより $\lambda_{\infty} \approx 365\,\text{nm}$ となり、紫外線に近い領域が系列限界です。 系列限界を超えると、電子は原子から離れる(電離する)ため、連続スペクトルに移行します。

💡 ここが本質:系列限界はイオン化エネルギーに対応する

$n \to \infty$ は電子が原子核から無限遠に離れる ─ つまり電離(イオン化)に対応します。

ライマン系列の系列限界の光子エネルギーが、水素原子の基底状態からのイオン化エネルギー $13.6\,\text{eV}$ に一致します。

🔬 深掘り:吸収スペクトル

原子は特定の波長の光を放出するだけでなく、まったく同じ波長の光を吸収することもできます。 白色光を原子の蒸気に通すと、連続スペクトルの中に特定の波長で暗い線が現れます。これを吸収スペクトル(暗線スペクトル)と呼びます。

太陽のスペクトルに見られるフラウンホーファー線は、太陽大気中の元素による吸収スペクトルです。 放出と吸収で同じ波長が関わることは、原子のエネルギーがとびとびであることの重要な証拠です。

⚠️ 落とし穴:スペクトル系列を暗記しようとする

✕ 誤:ライマン、バルマー、パッシェン...の系列名と波長を丸暗記する

○ 正:リュードベリの公式 $\dfrac{1}{\lambda} = R_\text{H}\left(\dfrac{1}{m^2} - \dfrac{1}{n^2}\right)$ を理解し、$m$ の値を変えれば各系列が得られることを把握する

入試で問われるのは公式の使い方であり、系列名の暗記ではありません。$m = 1$ ならライマン(紫外)、$m = 2$ ならバルマー(可視光)、$m = 3$ ならパッシェン(赤外)と覚えれば十分です。

5この章を俯瞰する

水素原子のスペクトルの規則性は、原子の内部構造に関する重要な手がかりを与えてくれました。 ここで学んだ内容が、今後どのようにつながっていくかを確認しましょう。

つながりマップ

  • ← A-2-1 ラザフォードの原子模型:原子核の存在は明らかになったが、電子の振る舞いと線スペクトルは説明できなかった。
  • → A-2-3 ボーアの原子模型:リュードベリの公式を理論的に導出し、なぜスペクトルが「とびとび」になるかを説明する。
  • → A-2-4 エネルギー準位:$\dfrac{1}{n^2}$ の関係はエネルギー準位の構造に直結する。光の放出・吸収のメカニズムが明確になる。
  • ← 光の波動性(波動):プリズムや回折格子でスペクトルを分離する原理は、光の波としての性質に基づく。
  • → 光子のエネルギー(前期量子論):$E = h\nu = \dfrac{hc}{\lambda}$ の関係を使って、スペクトル線の波長からエネルギー差を読み取る。

📋まとめ

  • 高温の固体・液体は連続スペクトル、低圧の気体は線スペクトルを出す。線スペクトルは元素ごとに固有
  • 水素原子の可視光スペクトル(バルマー系列)は $\dfrac{1}{\lambda} = R_\text{H}\left(\dfrac{1}{2^2} - \dfrac{1}{n^2}\right)$ で表される
  • リュードベリの一般公式 $\dfrac{1}{\lambda} = R_\text{H}\left(\dfrac{1}{m^2} - \dfrac{1}{n^2}\right)$ で、$m$ の値によりライマン・バルマー・パッシェンなどの系列が得られる
  • リュードベリ定数 $R_\text{H} = 1.097 \times 10^7\,\text{m}^{-1}$ は水素スペクトルの基本定数
  • 系列限界($n \to \infty$)は電離(イオン化)に対応し、ライマン系列限界から水素のイオン化エネルギー $13.6\,\text{eV}$ が得られる
  • 線スペクトルの存在は、原子内部のエネルギーがとびとびの値をとることの直接的な証拠である

確認テスト

Q1. 連続スペクトルと線スペクトルの違いを簡潔に述べてください。

▶ クリックして解答を表示連続スペクトルはあらゆる波長の光を含む途切れのないスペクトル(高温固体・液体が放出)。線スペクトルは特定の波長の光だけが現れるとびとびのスペクトル(低圧気体が放出)。

Q2. バルマー系列は水素のどの量子数への遷移に対応しますか。

▶ クリックして解答を表示$n = 3, 4, 5, \ldots$ から $m = 2$ への遷移に対応する。リュードベリの公式で $m = 2$ の場合がバルマー系列。

Q3. リュードベリ定数 $R_\text{H}$ の値を答えてください。

▶ クリックして解答を表示$R_\text{H} = 1.097 \times 10^7\,\text{m}^{-1}$

Q4. ライマン系列が紫外線領域に現れる理由を説明してください。

▶ クリックして解答を表示ライマン系列は $m = 1$(基底状態)への遷移に対応する。$n = 1$ と他の準位とのエネルギー差が大きいため、放出される光のエネルギーが高く(波長が短く)、紫外線領域になる。

8入試問題演習

この記事で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。

A 基礎レベル

2-2-1 A 基礎 バルマー系列 計算

水素原子のバルマー系列で最も波長が長い光(H$_\alpha$ 線)の波長を、リュードベリの公式を用いて求めよ。ただし、$R_\text{H} = 1.10 \times 10^7\,\text{m}^{-1}$ とする。

▶ クリックして解答・解説を表示
解答

$\lambda \approx 655\,\text{nm}$

解説

方針:バルマー系列で最も波長が長い光は、$n = 3 \to m = 2$ の遷移に対応する(エネルギー差が最小のため波長が最長)。

$$\frac{1}{\lambda} = R_\text{H}\left(\frac{1}{2^2} - \frac{1}{3^2}\right) = 1.10 \times 10^7 \times \left(\frac{1}{4} - \frac{1}{9}\right)$$

$$= 1.10 \times 10^7 \times \frac{9 - 4}{36} = 1.10 \times 10^7 \times \frac{5}{36}$$

$$= 1.528 \times 10^6\,\text{m}^{-1}$$

$$\lambda = \frac{1}{1.528 \times 10^6} \approx 6.55 \times 10^{-7}\,\text{m} = 655\,\text{nm}$$

B 発展レベル

2-2-2 B 発展 系列の比較 計算

水素原子について、以下の問いに答えよ。$R_\text{H} = 1.10 \times 10^7\,\text{m}^{-1}$ とする。

(1) ライマン系列で最も波長が長い光の波長を求めよ。

(2) バルマー系列の系列限界の波長を求めよ。

▶ クリックして解答・解説を表示
解答

(1) $\lambda \approx 121\,\text{nm}$

(2) $\lambda \approx 364\,\text{nm}$

解説

(1) ライマン系列で最も波長が長い光は $n = 2 \to m = 1$ の遷移。

$$\frac{1}{\lambda} = R_\text{H}\left(\frac{1}{1^2} - \frac{1}{2^2}\right) = 1.10 \times 10^7 \times \frac{3}{4} = 8.25 \times 10^6\,\text{m}^{-1}$$

$$\lambda = \frac{1}{8.25 \times 10^6} \approx 1.21 \times 10^{-7}\,\text{m} = 121\,\text{nm}$$

(2) バルマー系列の系列限界は $n \to \infty$ のとき。

$$\frac{1}{\lambda} = R_\text{H} \times \frac{1}{2^2} = \frac{1.10 \times 10^7}{4} = 2.75 \times 10^6\,\text{m}^{-1}$$

$$\lambda = \frac{1}{2.75 \times 10^6} \approx 3.64 \times 10^{-7}\,\text{m} = 364\,\text{nm}$$

採点ポイント
  • (1) ライマン系列で $m = 1$ を正しく設定する(2点)
  • (1) 最も波長が長い光が $n = 2$ に対応することを理解する(2点)
  • (2) 系列限界が $n \to \infty$ に対応することを正しく扱う(3点)
  • 計算を正しく行う(各1.5点)

C 応用レベル

2-2-3 C 応用 波長の比較 論述

水素原子のスペクトルについて、以下の問いに答えよ。

(1) バルマー系列の最短波長の光と、ライマン系列の最長波長の光について、どちらの波長が短いか理由とともに答えよ。

(2) 水素原子のイオン化エネルギーを $13.6\,\text{eV}$ とするとき、ライマン系列の系列限界の波長を求めよ。ただし、$h = 6.63 \times 10^{-34}\,\text{J}\cdot\text{s}$、$c = 3.00 \times 10^8\,\text{m/s}$、$1\,\text{eV} = 1.60 \times 10^{-19}\,\text{J}$ とする。

▶ クリックして解答・解説を表示
解答

(1) バルマー系列の最短波長の方が短い(ライマン系列の最長波長 $121\,\text{nm}$ に対し、バルマー系列限界 $364\,\text{nm}$ なので、バルマー系列の最短波長の方が長い)。

訂正:ライマン系列の最長波長($\approx 121\,\text{nm}$)の方が、バルマー系列の最短波長($\approx 364\,\text{nm}$)よりも波長が短い。

(2) $\lambda \approx 91.4\,\text{nm}$

解説

(1) バルマー系列の最短波長は $n \to \infty, m = 2$ で $\dfrac{1}{\lambda} = \dfrac{R_\text{H}}{4}$($\lambda \approx 364\,\text{nm}$)。

ライマン系列の最長波長は $n = 2, m = 1$ で $\dfrac{1}{\lambda} = R_\text{H} \times \dfrac{3}{4}$($\lambda \approx 121\,\text{nm}$)。

$121\,\text{nm} < 364\,\text{nm}$ なので、ライマン系列の最長波長の方が波長が短い(エネルギーが大きい)。

(2) イオン化エネルギー $E = 13.6\,\text{eV} = 13.6 \times 1.60 \times 10^{-19} = 2.176 \times 10^{-18}\,\text{J}$

$E = \dfrac{hc}{\lambda}$ より、

$$\lambda = \frac{hc}{E} = \frac{6.63 \times 10^{-34} \times 3.00 \times 10^8}{2.176 \times 10^{-18}} = \frac{1.989 \times 10^{-25}}{2.176 \times 10^{-18}} \approx 9.14 \times 10^{-8}\,\text{m} = 91.4\,\text{nm}$$

採点ポイント
  • (1) 両方の波長を正しく計算または示す(3点)
  • (1) 比較と理由を正しく述べる(2点)
  • (2) イオン化エネルギーとライマン系列限界の関係を理解する(2点)
  • (2) $E = hc/\lambda$ を用いて正しく計算する(3点)