第28章 原子の構造

ボーアの原子模型
─ 量子条件と振動数条件

ラザフォードの原子模型は、原子核の存在を示した点で画期的でした。
しかし古典物理学では、回転する電子は電磁波を放出し続け、やがて原子核に落ち込んでしまうはずです。
1913年、ボーアは「電子は特定の軌道だけをとる」という大胆な仮説を提唱し、水素原子の線スペクトルを見事に説明しました。
ここでは、量子条件と振動数条件という2つの柱から、ボーアの原子模型を学びましょう。

1ラザフォードモデルの問題点

ラザフォードは原子核の存在を発見しましたが、その原子模型には致命的な問題がありました。 古典電磁気学によれば、加速度運動する荷電粒子は電磁波を放出するはずです。

電子が円運動をしている以上、常に中心に向かう加速度をもっています。 したがって電子は電磁波を放出してエネルギーを失い続け、約 $10^{-11}\,\text{s}$ で原子核に落ち込んでしまいます。 原子が安定に存在できないことになるのです。

また、もし電子が連続的にエネルギーを失うなら、放出される光の波長も連続的に変化するはずです。 しかし実際には、水素原子は特定の波長の光だけを放出する線スペクトルを示します。 この2つの矛盾を解決するために、ボーアは古典物理学にはない新しいルールを導入しました。

💡 ここが本質:古典物理学の限界

ラザフォードモデルの問題は、古典電磁気学をそのまま適用したことにあります。

ボーアの革新的なアイデアは、「原子の世界では古典物理学のルールがそのまま成り立つわけではない」と認め、新しいルール(量子条件)を大胆に導入したことです。

2ボーアの仮説 ─ 量子条件と振動数条件

1913年、ニールス・ボーアは水素原子について次の2つの仮説を提唱しました。

仮説1:量子条件(定常状態の条件)

電子は任意の軌道ではなく、特定の軌道上だけを回ることができる。 この許された軌道上にある限り、電子は電磁波を放出しない。 この安定な状態を定常状態と呼びます。

📐 量子条件(ボーアの量子条件)

電子の軌道の円周が、ド・ブロイ波長の整数倍に等しい:

$$2\pi r = n\lambda \quad (n = 1, 2, 3, \ldots)$$

角運動量で表すと:

$$mvr = n\frac{h}{2\pi} = n\hbar \quad (n = 1, 2, 3, \ldots)$$

※ $m$:電子の質量、$v$:電子の速さ、$r$:軌道半径、$h$:プランク定数、$\hbar = h/(2\pi)$、$n$:量子数(正の整数)

量子数 $n$ は正の整数で、$n = 1$ の軌道が最もエネルギーが低い基底状態、 $n \geq 2$ の状態を励起状態と呼びます。

仮説2:振動数条件

電子が高いエネルギーの定常状態から低いエネルギーの定常状態に遷移するとき、 そのエネルギー差に等しいエネルギーをもつ光子(フォトン)を1個放出します。

📐 振動数条件

$$h\nu = E_n - E_m \quad (n > m)$$

※ $h$:プランク定数、$\nu$:放出される光の振動数、$E_n$:遷移前のエネルギー、$E_m$:遷移後のエネルギー

逆に、外部から光を吸収して低い状態から高い状態に遷移することもできます。 この場合も $h\nu = E_n - E_m$ が成り立ちます。

⚠️ 落とし穴:量子条件と振動数条件を混同する

✕ 誤:量子条件は光の放出に関する条件である

○ 正:量子条件は「電子がとれる軌道」を決める条件。光の放出・吸収に関する条件は「振動数条件」

この2つの仮説はセットで理解しましょう。量子条件が「どの状態が許されるか」を決め、振動数条件が「状態間の遷移で何が起こるか」を決めます。

💡 ここが本質:「飛び飛び」が量子の世界

古典物理学では、エネルギーは連続的にどんな値でもとれます。しかしボーアの理論では、電子のエネルギーは飛び飛びの値しかとれません。

この「離散的(とびとび)なエネルギー」こそが量子力学の本質であり、原子が特定の波長の光だけを出す線スペクトルの原因です。

3水素原子の軌道半径とエネルギー

ボーアの量子条件とクーロン力の式を組み合わせると、水素原子の電子の軌道半径とエネルギーが具体的に求まります。

軌道半径の導出

▷ 水素原子の軌道半径の導出

電子(質量 $m$、電荷 $-e$)が原子核(電荷 $+e$)の周りを半径 $r$ で等速円運動しているとき、

円運動の方程式(クーロン力=向心力):

$$k_e\frac{e^2}{r^2} = \frac{mv^2}{r} \quad \cdots (1)$$

量子条件:

$$mvr = n\hbar \quad \cdots (2)$$

(2)より $v = \dfrac{n\hbar}{mr}$ を(1)に代入すると、

$$k_e\frac{e^2}{r^2} = \frac{m}{r}\left(\frac{n\hbar}{mr}\right)^2 = \frac{n^2\hbar^2}{mr^3}$$

整理して、

$$r_n = \frac{n^2\hbar^2}{mk_e e^2} = n^2 a_0$$

📐 水素原子の軌道半径(ボーア半径)

$$r_n = n^2 a_0$$

$$a_0 = \frac{\hbar^2}{mk_e e^2} \approx 5.29 \times 10^{-11}\,\text{m} \approx 0.053\,\text{nm}$$

※ $a_0$:ボーア半径。$n = 1$ のときの軌道半径で、原子の大きさの目安。軌道半径は $n^2$ に比例して大きくなる。

エネルギーの導出

▷ 水素原子のエネルギーの導出

運動エネルギー $K$ と位置エネルギー $U$ の和がエネルギー $E$ です。

(1)より $mv^2 = k_e\dfrac{e^2}{r}$ なので、

$$K = \frac{1}{2}mv^2 = \frac{k_e e^2}{2r}$$

$$U = -\frac{k_e e^2}{r}$$

$$E = K + U = \frac{k_e e^2}{2r} - \frac{k_e e^2}{r} = -\frac{k_e e^2}{2r}$$

$r_n = n^2 a_0$ を代入すると、

$$E_n = -\frac{k_e e^2}{2n^2 a_0} = -\frac{13.6}{n^2}\,\text{eV}$$

📐 水素原子のエネルギー準位

$$E_n = -\frac{13.6}{n^2}\,\text{eV} \quad (n = 1, 2, 3, \ldots)$$

※ $n = 1$(基底状態):$E_1 = -13.6\,\text{eV}$。$n \to \infty$ で $E = 0$(電離状態)。エネルギーが負なのは、電子が束縛されていることを表す。
$n$$r_n$$E_n$ (eV)
1$a_0 = 0.053\,\text{nm}$$-13.6$
2$4a_0 = 0.21\,\text{nm}$$-3.40$
3$9a_0 = 0.48\,\text{nm}$$-1.51$
4$16a_0 = 0.85\,\text{nm}$$-0.850$
$\infty$$\infty$$0$
⚠️ 落とし穴:エネルギーが負であることの意味を誤解する

✕ 誤:$E_1 = -13.6\,\text{eV}$ なので、電子はエネルギーをもっていない

○ 正:エネルギーの基準を $n \to \infty$(電離状態)で $E = 0$ と定めているため負になる。$|E_1| = 13.6\,\text{eV}$ が電子を引き離すのに必要なエネルギー(イオン化エネルギー)

負のエネルギーは「束縛されている」ことを意味します。絶対値が大きいほど強く束縛されています。

🔬 深掘り:ボーアモデルと水素のスペクトル系列

振動数条件 $h\nu = E_n - E_m$ と $E_n = -13.6/n^2\,\text{eV}$ を組み合わせると、水素原子のスペクトル系列が説明できます。

$m = 1$ に遷移する系列をライマン系列(紫外線)、$m = 2$ をバルマー系列(可視光)、$m = 3$ をパッシェン系列(赤外線)と呼びます。

波長の逆数(波数)は $\dfrac{1}{\lambda} = R\left(\dfrac{1}{m^2} - \dfrac{1}{n^2}\right)$ で表され、$R$ はリュードベリ定数と呼ばれます。

4ボーアモデルの成功と限界

成功した点

  • 水素原子の線スペクトル(バルマー系列など)を定量的に説明した
  • イオン化エネルギー($13.6\,\text{eV}$)が実測値と一致した
  • 原子の安定性を説明した(定常状態では電磁波を放出しない)
  • リュードベリ定数を基本物理定数から導出できた

限界

  • 水素原子(電子1個)しか正確に扱えない。ヘリウム以上の多電子原子には適用できない
  • スペクトル線の強度(明るさ)を説明できない
  • 磁場中でのスペクトル線の分裂(ゼーマン効果)を完全には説明できない
  • なぜ量子条件が成り立つのかの根本的な理由は説明されていない

これらの限界は、のちに量子力学(シュレーディンガー方程式)によって克服されます。 ボーアモデルは、古典物理学から量子力学への架け橋として重要な役割を果たしました。

💡 ここが本質:ボーアモデルは「量子力学への入口」

ボーアモデルは、エネルギーが飛び飛びの値をとるという量子化の概念を原子の世界に初めて持ち込みました。

高校物理では、ボーアモデルの結果($E_n = -13.6/n^2\,\text{eV}$)を使って水素原子のスペクトルやイオン化エネルギーを計算できれば十分です。

5この章を俯瞰する

ボーアの原子模型は、原子の構造を理解する上で不可欠な理論です。

つながりマップ

  • ← A-2-1 ラザフォードの原子模型:原子核の存在を発見したが、電子の安定性を説明できなかった。その問題をボーアが解決。
  • ← A-2-2 水素原子のスペクトル:バルマー系列などの線スペクトルがボーアモデルで定量的に説明された。
  • → A-2-4 エネルギー準位:エネルギー準位図を用いた光の放出・吸収の理解を深める。
  • ← 光の粒子性(光子):$E = h\nu$ という光子のエネルギーが振動数条件の基礎。
  • → ド・ブロイ波(物質波):量子条件 $2\pi r = n\lambda$ は、電子を波として考えたときの定在波条件と解釈できる。

📋まとめ

  • ボーアは量子条件($mvr = n\hbar$)と振動数条件($h\nu = E_n - E_m$)の2つの仮説を導入した
  • 量子条件により電子は飛び飛びの軌道のみを許される。この安定な状態が定常状態
  • 水素原子の軌道半径は $r_n = n^2 a_0$($a_0 \approx 0.053\,\text{nm}$)
  • 水素原子のエネルギーは $E_n = -\dfrac{13.6}{n^2}\,\text{eV}$
  • $n = 1$ が基底状態、$|E_1| = 13.6\,\text{eV}$ がイオン化エネルギー
  • ボーアモデルは水素原子の線スペクトルを見事に説明したが、多電子原子には適用できない

確認テスト

Q1. ボーアの量子条件を式で書いてください。

▶ クリックして解答を表示$mvr = n\hbar = n\dfrac{h}{2\pi}$($n = 1, 2, 3, \ldots$)。電子の角運動量がプランク定数の整数倍に量子化される。

Q2. 振動数条件 $h\nu = E_n - E_m$ で、$n > m$ のとき何が起こりますか。

▶ クリックして解答を表示電子がエネルギーの高い状態 $E_n$ から低い状態 $E_m$ に遷移し、振動数 $\nu$ の光子を1個放出する。

Q3. 水素原子の基底状態($n = 1$)のエネルギーはいくらですか。

▶ クリックして解答を表示$E_1 = -13.6\,\text{eV}$。水素原子をイオン化するには $13.6\,\text{eV}$ のエネルギーが必要。

Q4. $n = 3$ の軌道半径はボーア半径 $a_0$ の何倍ですか。

▶ クリックして解答を表示$r_3 = 3^2 \times a_0 = 9a_0$。軌道半径は量子数の2乗に比例する。

8入試問題演習

ボーアの原子模型に関する入試形式の問題です。

A 基礎レベル

2-3-1 A 基礎 エネルギー準位計算

水素原子のエネルギー準位は $E_n = -\dfrac{13.6}{n^2}\,\text{eV}$ で与えられる。

(1) $n = 2$ のエネルギー準位を求めよ。

(2) $n = 3$ から $n = 2$ に遷移するとき放出される光子のエネルギーを求めよ。

▶ クリックして解答・解説を表示
解答

(1) $E_2 = -3.40\,\text{eV}$

(2) $1.89\,\text{eV}$

解説

(1) $E_2 = -\dfrac{13.6}{2^2} = -\dfrac{13.6}{4} = -3.40\,\text{eV}$

(2) $E_3 = -\dfrac{13.6}{9} = -1.51\,\text{eV}$

$h\nu = E_3 - E_2 = (-1.51) - (-3.40) = 1.89\,\text{eV}$

これはバルマー系列の $H_\alpha$ 線に対応し、赤色の可視光です。

B 発展レベル

2-3-2 B 発展 波長計算計算

水素原子中の電子が $n = 2$ の定常状態から $n = 1$ の基底状態に遷移するとき放出される光の波長を求めよ。ただし、$h = 6.63 \times 10^{-34}\,\text{J}\cdot\text{s}$、$c = 3.00 \times 10^8\,\text{m/s}$、$1\,\text{eV} = 1.60 \times 10^{-19}\,\text{J}$ とする。

▶ クリックして解答・解説を表示
解答

$\lambda \approx 1.22 \times 10^{-7}\,\text{m} = 122\,\text{nm}$(紫外線)

解説

放出される光子のエネルギー:

$h\nu = E_2 - E_1 = (-3.40) - (-13.6) = 10.2\,\text{eV}$

$= 10.2 \times 1.60 \times 10^{-19} = 1.632 \times 10^{-18}\,\text{J}$

$\lambda = \dfrac{hc}{h\nu} = \dfrac{6.63 \times 10^{-34} \times 3.00 \times 10^8}{1.632 \times 10^{-18}}$

$= \dfrac{1.989 \times 10^{-25}}{1.632 \times 10^{-18}} = 1.22 \times 10^{-7}\,\text{m} = 122\,\text{nm}$

これはライマン系列の $L_\alpha$ 線で、紫外線領域です。

採点ポイント
  • エネルギー差を正しく求める(3点)
  • eVからJへの単位変換(2点)
  • $\lambda = hc/E$ の関係を正しく用いる(3点)
  • 答えが紫外線領域であることに言及する(2点)

C 応用レベル

2-3-3 C 応用 イオン化論述

水素原子の基底状態にある電子に $12.5\,\text{eV}$ のエネルギーをもつ光子を照射した。

(1) この光子は水素原子に吸収されるか。理由とともに答えよ。

(2) 水素原子を基底状態から電離させるために必要な光子の最小エネルギーはいくらか。

(3) $n = 4$ の励起状態にある水素原子から放出されうる光のスペクトル線は最大何本か。

▶ クリックして解答・解説を表示
解答

(1) 吸収されない。$12.5\,\text{eV}$ はどの2つのエネルギー準位の差にも一致しないため。

(2) $13.6\,\text{eV}$

(3) 6本

解説

(1) $n = 1$ から遷移できる準位のエネルギー差は $E_2 - E_1 = 10.2\,\text{eV}$、$E_3 - E_1 = 12.1\,\text{eV}$、$E_4 - E_1 = 12.75\,\text{eV}$ …であり、$12.5\,\text{eV}$ と一致するものがない。光子はエネルギー準位の差とぴったり一致するエネルギーでなければ吸収されない。

(2) 電離エネルギーは $E_\infty - E_1 = 0 - (-13.6) = 13.6\,\text{eV}$。

(3) $n = 4$ から $n = 3, 2, 1$、$n = 3$ から $n = 2, 1$、$n = 2$ から $n = 1$ の遷移が可能。合計 ${}_4C_2 = 6$ 本。

採点ポイント
  • (1) エネルギー差と一致しないことを具体的数値で示す(3点)
  • (2) イオン化エネルギーの定義と計算(2点)
  • (3) 遷移の組み合わせを正しく数える(3点)