マラソン選手は42.195kmの道のりを走りますが、ゴールはスタート地点のすぐ近くです。
「どれだけ走ったか」と「出発点からどこにいるか」は、まったく異なる情報です。
物理はこの2つを「移動距離」と「変位」として明確に区別します。その違いが運動の記述の出発点になります。
物体の運動を記述するには、まず「物体がどこにいるか」を数値で表す必要があります。 そのために、座標を使います。
直線上の運動では、基準となる点(原点)を1つ決め、そこからの位置を正負の数値で表します。 原点より正の向き側にいれば位置は正、逆側にいれば負です。
たとえば、原点を自宅として、東向きを正と定めましょう。 自宅から東に $300\,\text{m}$ の位置にいるなら $x = +300\,\text{m}$、西に $200\,\text{m}$ の位置にいるなら $x = -200\,\text{m}$ です。
位置を表すには、原点と正の向きの2つを最初に決めます。 位置 $x$ は原点からの距離に向きの符号をつけた値です。
同じ場所でも、原点の取り方や正の向きの取り方を変えれば、位置の値は変わります。 しかし、物理法則そのものは座標の取り方に依存しません。
「位置」は原点からの座標(正負あり)、「距離」は2点間の隔たり(常に正)です。
✕ 誤:「位置が $-5\,\text{m}$ だから、5m離れたところにいない」
○ 正:「位置が $-5\,\text{m}$ だから、原点から負の向きに $5\,\text{m}$ の位置にいる」
位置は符号付きの量であり、マイナスは「遠い」のではなく「逆向き」を意味します。
変位とは、物体の位置の変化です。 始点の位置 $x_1$ から終点の位置 $x_2$ への変化を、次のように表します。
$$\Delta x = x_2 - x_1$$
変位は「出発点からどちらにどれだけずれたか」を示す量です。 途中の道のりがどれだけ複雑でも、始点と終点の位置さえ分かれば変位は決まります。
正の向きを右とすると、右に $30\,\text{m}$ 移動した場合の変位は $\Delta x = +30\,\text{m}$。 左に $20\,\text{m}$ 移動した場合の変位は $\Delta x = -20\,\text{m}$ です。
変位は始点から終点へ引いた1本の矢印に対応します。 この矢印の長さが変位の大きさ、向きが変位の向きです。
途中で何回折り返しても、始点と終点が同じなら変位は同じです。 変位は「結果としてどこにいるか」だけに注目する量です。
原点から出発して、右に $50\,\text{m}$ 進み、左に $30\,\text{m}$ 戻ったとしましょう。
変位は $+20\,\text{m}$ です。途中で $80\,\text{m}$ 歩いた($50 + 30$)という情報は、変位には反映されません。
変位は「位置の変化」であり、途中経路を無視します。道のりは「実際に移動した長さ」です。
✕ 誤:右に50m進んで左に30m戻った → 変位は $80\,\text{m}$
○ 正:右に50m進んで左に30m戻った → 変位は $+20\,\text{m}$
折り返しがある場合、変位の大きさは移動距離よりも小さくなります。
移動距離(道のり)とは、物体が実際に移動した経路の長さの合計です。 スカラー量であり、常に $0$ 以上の値をとります。
$$\text{移動距離} = \text{経路に沿った道のりの合計}$$
先ほどの例(右に50m、左に30m戻る)で確認しましょう。
移動距離 $80\,\text{m}$ は、変位の大きさ $20\,\text{m}$ よりもはるかに大きいことに注目してください。 折り返しがあると、移動距離は変位の大きさよりも大きくなります。
| 変位 | 移動距離(道のり) | |
|---|---|---|
| 種類 | ベクトル(向きあり) | スカラー(向きなし) |
| 定義 | 終点の位置 $-$ 始点の位置 | 経路に沿った長さの合計 |
| 値の範囲 | 正・負・ゼロ | $0$ 以上 |
| 経路依存 | 依存しない(始点・終点のみ) | 依存する(通った道による) |
| 折り返し時 | 行き帰りが打ち消し合う | 行き帰りが加算される |
入試問題では「距離を求めよ」と「変位を求めよ」で答えが異なります。
✕ 誤:「移動距離を求めよ」に対して変位を答える
○ 正:問題文が「距離(道のり)」を聞いていれば経路の長さを合計し、「変位」を聞いていれば始点・終点だけから計算する
問題文の言葉を正確に読み取ることが大切です。
変位の大きさ $|\Delta x|$ と移動距離が等しくなるのは、物体が一方向にのみ移動した場合に限られます。 折り返しや方向転換がなければ、2つは一致します。
原点から右に $100\,\text{m}$ 直進した場合を考えます。
一方向のみの移動では、変位の大きさ = 移動距離です。
原点から右に $100\,\text{m}$ 進み、折り返して左に $100\,\text{m}$ 戻った場合を考えます。
変位は $0$ ですが、物体は確かに $200\,\text{m}$ 移動しています。
一般に、次の関係が成り立ちます。
$$|\Delta x| \leq \text{移動距離}$$
等号が成立するのは、物体が一方向にのみ移動した場合です。 折り返しがあるほど、移動距離は変位の大きさを大きく上回ります。
「距離 = 速さ $\times$ 時間」と「変位 = 速度 $\times$ 時間」は別の式です。
✕ 誤:速度 $v = -5\,\text{m/s}$ で $10\,\text{s}$ 間移動した距離 = $-5 \times 10 = -50\,\text{m}$
○ 正:変位は $-5 \times 10 = -50\,\text{m}$(負の向きに $50\,\text{m}$)。移動距離は $|-50| = 50\,\text{m}$
「距離」は必ず正の値です。速度を使って計算した値は「変位」であり、距離を求めるにはその絶対値をとります。
ここまで直線上の運動(1次元)を扱いましたが、平面上(2次元)や空間内(3次元)の運動でも変位は定義できます。
2次元の変位は $\Delta \vec{r} = (\Delta x,\, \Delta y)$ のようにベクトルで表します。 変位の大きさは $|\Delta \vec{r}| = \sqrt{(\Delta x)^2 + (\Delta y)^2}$ です。
水平投射や斜方投射を学ぶ際には、変位を成分に分けて扱います。 1次元での「変位は始点と終点だけで決まる」という性質は、何次元でも変わりません。
大学物理では、移動距離を「速さ $|v|$ の時間積分」として求めます。
$$\text{移動距離} = \int_0^T |v(t)|\,dt$$
一方、変位は「速度 $v$ の時間積分」です。
$$\Delta x = \int_0^T v(t)\,dt$$
速度の符号が途中で変わる(折り返す)と、積分の正負が打ち消し合い、変位は移動距離より小さくなります。
変位と移動距離の区別は、速度の定義や運動方程式を正しく使うための基盤です。 前後の記事との関係を確認しておきましょう。
Q1. 変位の定義を式で書いてください。
Q2. 変位と移動距離の最も大きな違いは何ですか。
Q3. 右向きを正として、原点から右に $40\,\text{m}$、左に $70\,\text{m}$ 移動しました。変位と移動距離をそれぞれ求めてください。
Q4. 変位の大きさと移動距離が等しくなるのは、どのような場合ですか。
この記事で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。
数直線上で、原点にいた物体が正の向きに $60\,\text{m}$ 進んだ後、負の向きに $25\,\text{m}$ 戻った。次の問いに答えよ。
(1) 物体の変位を求めよ。
(2) 物体の移動距離を求めよ。
(1) $+35\,\text{m}$
(2) $85\,\text{m}$
(1) 変位 = 終点の位置 $-$ 始点の位置 = $(60 - 25) - 0 = +35\,\text{m}$
(2) 移動距離 = $60 + 25 = 85\,\text{m}$
直線上を運動する物体が、$t = 0$ で位置 $x = 10\,\text{m}$ にいた。$t = 5\,\text{s}$ で位置 $x = 60\,\text{m}$ に達し、その後折り返して $t = 8\,\text{s}$ で位置 $x = 30\,\text{m}$ になった。次の問いに答えよ。
(1) $t = 0$ から $t = 8\,\text{s}$ までの変位を求めよ。
(2) $t = 0$ から $t = 8\,\text{s}$ までの移動距離を求めよ。
(3) $t = 0$ から $t = 8\,\text{s}$ までの平均の速度と平均の速さを求めよ。
(1) $+20\,\text{m}$
(2) $80\,\text{m}$
(3) 平均の速度:$+2.5\,\text{m/s}$、平均の速さ:$10\,\text{m/s}$
(1) 変位 = $30 - 10 = +20\,\text{m}$
(2) $t = 0 \to 5\,\text{s}$:$60 - 10 = 50\,\text{m}$(正の向き)。$t = 5 \to 8\,\text{s}$:$60 - 30 = 30\,\text{m}$(負の向き)。移動距離 = $50 + 30 = 80\,\text{m}$
(3) 平均の速度 = $\dfrac{20}{8} = +2.5\,\text{m/s}$。平均の速さ = $\dfrac{80}{8} = 10\,\text{m/s}$
直線上を運動する物体が、$t = 0$ から $t = 4\,\text{s}$ まで速度 $+3\,\text{m/s}$ の等速で運動し、$t = 4\,\text{s}$ から $t = 10\,\text{s}$ まで速度 $-2\,\text{m/s}$ の等速で運動した。次の問いに答えよ。
(1) $t = 0$ から $t = 10\,\text{s}$ までの変位を求めよ。
(2) $t = 0$ から $t = 10\,\text{s}$ までの移動距離を求めよ。
(3) 変位の大きさと移動距離が異なる理由を説明せよ。
(1) $0\,\text{m}$
(2) $24\,\text{m}$
(3) 途中で運動の向きが変わり折り返したため、変位では正と負が打ち消し合うが、移動距離では加算される。
方針:各区間の変位を求め、合計が全体の変位。移動距離は各区間の変位の絶対値の合計。
(1) 第1区間の変位:$3 \times 4 = +12\,\text{m}$。第2区間の変位:$(-2) \times 6 = -12\,\text{m}$。合計変位 = $12 + (-12) = 0\,\text{m}$
(2) 移動距離 = $|12| + |-12| = 12 + 12 = 24\,\text{m}$
(3) 物体は $t = 4\,\text{s}$ で正の向きから負の向きに転じている。変位は向きを考慮するため $+12$ と $-12$ が打ち消し合い $0$ になるが、移動距離は向きを無視して道のりを合計するため $24\,\text{m}$ になる。