風船を膨らませると、ゴムの壁は内側から押し広げられます。
この力の正体は、目に見えない無数の分子が壁に衝突する衝撃です。
気体の圧力を「分子の運動」から説明する理論が気体分子運動論です。
ミクロな分子の振る舞いがマクロな圧力を生み出すしくみを学びましょう。
コップの水を温めると蒸発し、やがて水蒸気になります。 液体のときは分子同士がゆるく結びついていました。 しかし気体になると、分子は互いの束縛を離れます。 空間を自由に飛び回り、壁や他の分子と衝突を繰り返します。
気体の圧力や温度といったマクロな量は、目に見えません。 しかし、分子1個1個の運動を追えば、その正体が見えてきます。 この発想こそが気体分子運動論の出発点です。
空気中の窒素分子 $\text{N}_2$ の直径は約 $3.7 \times 10^{-10}\,\text{m}$ です。 標準状態($0\,^\circ\text{C}$、$1\,\text{atm}$)の気体 $1\,\text{mol}$ の体積は約 $22.4\,\text{L}$ です。 この中にアボガドロ数 $N_A \approx 6.02 \times 10^{23}$ 個の分子が存在します。
分子の大きさに比べ、分子間の平均距離はおよそ10倍もあります。 そのため気体中では、分子同士がぶつかる時間はごくわずかです。 ほとんどの時間、分子は直線的に飛んでいます。
固体や液体と異なり、気体の分子は互いにほぼ独立です。 分子間力が無視でき、衝突以外の相互作用がない状態を考えます。
この理想化された気体が理想気体です。 実在の気体も、高温・低圧では理想気体に近い振る舞いをします。
気体は目に見えないため、分子が動いていないように思えます。
✕ 誤:「部屋の空気は静止しているから、分子も止まっている」
○ 正:「部屋の空気が静止して見えるのは、分子がランダムに飛び回り、巨視的に打ち消し合っているから」
常温の窒素分子は秒速約 $500\,\text{m/s}$ で運動しています。
気体分子運動論では、計算を進めるためにいくつかの仮定を置きます。 これらは理想気体を定義する条件でもあります。
仮定5は非常に重要です。 分子が特定の方向に偏って運動すれば、それは「風」になります。 静止した気体では、すべての方向が等価です。
$N$ 個の分子の速度を $\boldsymbol{v}_1, \boldsymbol{v}_2, \ldots, \boldsymbol{v}_N$ とします。 ランダム性の仮定から、$x$・$y$・$z$ 方向の速度成分は統計的に等価です。
すなわち、速度の2乗平均について次が成り立ちます。
$$\overline{v_x^2} = \overline{v_y^2} = \overline{v_z^2}$$
ここで $\overline{v^2} = \overline{v_x^2} + \overline{v_y^2} + \overline{v_z^2}$ なので、
$$\overline{v_x^2} = \frac{1}{3}\overline{v^2}$$
この関係は、次の記事で圧力を導出するときに本質的な役割を果たします。
日常のボールの衝突では運動エネルギーが熱に変わります。
✕ 誤:「分子が壁にぶつかるたびにエネルギーを失う」
○ 正:「理想気体では壁との衝突は完全弾性衝突であり、運動エネルギーは保存される」
もし衝突でエネルギーが失われれば、気体は自然に冷えてしまいます。 温度が一定に保たれる状況では、弾性衝突の仮定が本質的です。
✕ 誤:「分子を質点とするなら、衝突も起きないはず」
○ 正:「大きさを無視するのは、占める体積が容器に比べ極めて小さいという意味。衝突は起こる」
理想気体の仮定は、分子の体積が容器体積に比べ無視できるという意味です。 衝突そのものは短時間で生じ、力積の計算に使えます。
気体分子が容器の壁に衝突するとき、壁は分子から力積を受けます。 まず、1個の分子が1回の衝突で壁に与える力積を求めましょう。
質量 $m$ の分子が、$x$ 軸正方向に速度 $v_x$($v_x > 0$)で壁に衝突します。 壁は $x$ 軸に垂直な面です。 弾性衝突なので、衝突後の $x$ 成分は $-v_x$ に変わります。
分子の運動量の $x$ 成分の変化は次のようになります。
$$\Delta p_x = m(-v_x) - m v_x = -2mv_x$$
作用・反作用の法則により、壁が分子から受ける力積は $+2mv_x$ です。 つまり、分子1個が1回の衝突で壁に与える力積は $2mv_x$ です。
$$\text{力積} = 2mv_x$$
一辺 $L$ の立方体容器を考えます。 $x$ 軸正方向に速度 $v_x$ で進む分子が右の壁に到達します。 衝突後、反対側の壁で跳ね返り、再び右の壁に戻ります。
1往復の距離は $2L$ です。 したがって、この分子が右の壁に衝突する時間間隔は $\dfrac{2L}{v_x}$ です。 単位時間あたりの衝突回数は $\dfrac{v_x}{2L}$ 回となります。
1回の衝突で壁が受ける力積は $2mv_x$ です。
単位時間あたりの衝突回数は $\dfrac{v_x}{2L}$ です。
力は「単位時間あたりの力積」ですから、
$$f = 2mv_x \times \frac{v_x}{2L} = \frac{mv_x^2}{L}$$
分子1個が壁の1面に及ぼす平均の力は $\dfrac{mv_x^2}{L}$ です。
分子の運動量変化と壁が受ける力積は符号が逆です。
✕ 誤:「分子の運動量変化が $-2mv_x$ だから、壁も $-2mv_x$ の力積を受ける」
○ 正:「分子の運動量変化が $-2mv_x$ なら、作用・反作用で壁は $+2mv_x$ の力積を受ける」
容器内に $N$ 個の分子があるとき、すべての分子が壁に及ぼす力の合計から圧力を求めます。
$i$ 番目の分子の速度の $x$ 成分を $v_{xi}$ とします。 ただし、右向きに進む分子($v_{xi} > 0$)だけが右の壁に衝突します。 統計的な議論により、$N$ 個すべてを平均に含められます。
$N$ 個の分子が壁の1面に及ぼす力の合計は次のようになります。
$$F = \sum_{i=1}^{N} \frac{m v_{xi}^2}{L} = \frac{Nm\overline{v_x^2}}{L}$$
ここで $\overline{v_x^2} = \dfrac{1}{3}\overline{v^2}$ を使うと、
$$F = \frac{Nm\overline{v^2}}{3L}$$
壁の面積は $L^2$ です。 圧力 $p$ は単位面積あたりの力ですから、次のようになります。
$$p = \frac{F}{L^2} = \frac{Nm\overline{v^2}}{3L^3}$$
$L^3 = V$(容器の体積)なので、最終的に次の式が得られます。
$$p = \frac{Nm\overline{v^2}}{3V}$$
上の式を変形すると $pV = \frac{1}{3}Nm\overline{v^2}$ となります。 右辺は分子の運動エネルギーの合計 $\frac{1}{2}Nm\overline{v^2}$ の $\frac{2}{3}$ 倍です。
$$pV = \frac{2}{3}N \cdot \frac{1}{2}m\overline{v^2}$$
圧力と体積の積は、分子全体の運動エネルギーに比例します。 これは理想気体の状態方程式 $pV = nRT$ へとつながる重要な関係です。
1827年、植物学者ブラウンは花粉の微粒子が水中で不規則に動くのを観察しました。 1905年、アインシュタインはこの運動が水分子の衝突によると理論的に説明しました。
ブラウン運動は、分子が実在し、絶えず運動している直接的な証拠です。 ペランの実験によりアボガドロ数が精密に決定されました。
実在の気体では、分子間に引力(ファンデルワールス力)が働きます。 また、分子自身にも体積があります。
高圧・低温では分子間距離が縮まり、これらの効果が無視できなくなります。 ファンデルワールスの状態方程式はこの補正を取り入れたものです。
$\overline{v^2}$ は「速さの2乗の平均」です。
$\overline{v}^2$ は「速さの平均の2乗」です。
✕ 誤:「$\overline{v^2} = \overline{v}^2$ だから同じ」
○ 正:「一般に $\overline{v^2} \geq \overline{v}^2$ であり、等号はすべての分子が同じ速さのときだけ成立」
分子の速さにはばらつきがあるため、$\overline{v^2} > \overline{v}^2$ です。
気体分子運動論は、ミクロとマクロをつなぐ橋渡しの理論です。 ここで学んだ基本仮定と力積の考え方は、次の記事以降の土台となります。
Q1. 気体分子運動論で、分子と壁の衝突はどのような衝突と仮定しますか。
Q2. 質量 $m$ の分子が速度の $x$ 成分 $v_x$ で壁に弾性衝突したとき、壁が受ける力積を求めてください。
Q3. $\overline{v_x^2} = \frac{1}{3}\overline{v^2}$ が成り立つ理由を簡潔に述べてください。
Q4. 気体の圧力の式 $p = \frac{Nm\overline{v^2}}{3V}$ で、$N$ を2倍にすると圧力はどうなりますか。
この記事で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。
質量 $m = 4.7 \times 10^{-26}\,\text{kg}$ の窒素分子が、速度の $x$ 成分 $v_x = 500\,\text{m/s}$ で容器の壁に弾性衝突した。次の問いに答えよ。
(1) 衝突後の分子の速度の $x$ 成分を求めよ。
(2) 壁が分子から受ける力積の大きさを求めよ。
(1) $-500\,\text{m/s}$
(2) $4.7 \times 10^{-23}\,\text{N・s}$
方針:弾性衝突では $x$ 成分の符号が反転する。壁が受ける力積は作用・反作用で分子の運動量変化の逆符号。
(1) 弾性衝突なので $v_x' = -v_x = -500\,\text{m/s}$
(2) 壁が受ける力積 $= 2mv_x = 2 \times 4.7 \times 10^{-26} \times 500 = 4.7 \times 10^{-23}\,\text{N・s}$
一辺 $L = 0.10\,\text{m}$ の立方体容器に、質量 $m = 4.7 \times 10^{-26}\,\text{kg}$ の分子1個が $x$ 方向に速さ $v_x = 500\,\text{m/s}$ で往復運動している。次の問いに答えよ。
(1) この分子が右の壁に衝突する単位時間あたりの回数を求めよ。
(2) この分子が右の壁に及ぼす平均の力を求めよ。
(1) $2500$ 回/s
(2) $1.175 \times 10^{-19}\,\text{N}$
方針:1往復の距離 $2L$ と速さ $v_x$ から衝突間隔を求める。平均の力は力積と衝突回数の積。
(1) 衝突回数 $= \dfrac{v_x}{2L} = \dfrac{500}{2 \times 0.10} = 2500$ 回/s
(2) 平均の力 $= 2mv_x \times \dfrac{v_x}{2L} = \dfrac{mv_x^2}{L} = \dfrac{4.7 \times 10^{-26} \times 500^2}{0.10} = 1.175 \times 10^{-19}\,\text{N}$
一辺 $L$ の立方体容器に $N$ 個の理想気体分子(質量 $m$)が入っている。分子の速さの2乗平均を $\overline{v^2}$ とする。以下の手順で圧力を導出せよ。
(1) 1個の分子が右の壁に1回の弾性衝突で与える力積を求めよ。
(2) 1個の分子が単位時間に右の壁に衝突する回数を求めよ。
(3) $N$ 個の分子による圧力 $p$ を $N$、$m$、$\overline{v^2}$、$V$($= L^3$)で表せ。
(1) $2mv_x$
(2) $\dfrac{v_x}{2L}$
(3) $p = \dfrac{Nm\overline{v^2}}{3V}$
(1) 弾性衝突で $x$ 成分が $v_x$ から $-v_x$ に変化。分子の運動量変化は $-2mv_x$。作用・反作用より壁が受ける力積は $2mv_x$。
(2) 1往復の距離 $2L$ を $v_x$ で割った時間間隔の逆数。$\dfrac{v_x}{2L}$ 回/s。
(3) 分子1個が壁に及ぼす平均の力は $\dfrac{mv_x^2}{L}$。$N$ 個の合計は $\dfrac{Nm\overline{v_x^2}}{L}$。等方性 $\overline{v_x^2} = \dfrac{1}{3}\overline{v^2}$ を用いると $F = \dfrac{Nm\overline{v^2}}{3L}$。圧力 $p = \dfrac{F}{L^2} = \dfrac{Nm\overline{v^2}}{3L^3} = \dfrac{Nm\overline{v^2}}{3V}$。